児童生徒に「~させる」という言葉を使っていませんか?

指導計画、学習指導案、学校評価…先生方が作成したり、日々目にしたりしている資料たち…
私も目を通すことがあるのですが、個人的に以前から気になっていた言葉があります。

それは、児童生徒に「〇〇させる」という言葉。
「~の意識を持たせる」という使い方ならまだしも…「話し合いをさせる」「ノートに書かせる」など行動ベースで書かれると違和感しかない。

本当に個人的な話で申し訳ないのだが、最近とある授業の年間計画を作成していた時に気が付いたこと…
前年度の状況や課題を踏まえて、今年度の目標をたて、その目標を達成するための具体的な計画をたてる。
私としては何ら難しいことではないのだが、毎年作成しているであろう先生方でも…なことがあるらしい。

私は以前、介護支援専門員(ケアマネージャー)だったこともあり、日常的に介護支援計画を作成していたことを思い出した。
現在”していること””できること”と課題、本人が実現したいこと、そのためにどのような支援が必要か…
ICT支援員をしている今でも、思考のベースはケアマネ時代から変わっていないのかもしれない。特別支援学校の場合は特に…

そうなると高齢者や大人に対して「入浴時は自分で洗身させる」「麻痺のない左手でボタンを留めさせる」と書くだろうか?
むしろ書き方以前に、そもそもこういった考え方や言葉にならないように、ケアマネになる前から自然と教育されている。
だから余計に”学校関係では、これが普通なのか?”という、私の当初の驚きといったら…(最近は慣れつつあることが逆に恐ろしい…)

前例にならえで「〇〇させる」と書いているのか…それとも根底に”教師が児童生徒に教えて学ばせる”という意識があるからなのか…
「個別最適な学び」「協働的な学び」を実現するためには、この辺りから見つめ直す必要があると思う。