今回は、個人的なことを綴ろうかと思います。
6月某日、某所で作業でした。
私を含めて、3名で作業をしていたのですが
そのうちの1人が私に言いました「スチール取ってきて」と
スチールとは一体?と、今回の作業用にと持ってきた道具達を眺めますが、どれがどれだかわからない。
その後、これかもしれないと、私が手に取ったのは針金でしたが、答えは全く別の物。
通線ワイヤーがその答えだったようです。
通線ワイヤーとは、通線工具(電線やケーブルを配線する時に使う工具)の1つで
5ミリ程度の細さで、長さが40メートル巻、50メートル巻…と様々あるワイヤーのことです。
そしてこれを「スチールワイヤー」とも呼んだりします。
通線ワイヤー、スチールワイヤー、通称「スチール」
私が持ってくるべき「スチール」はそのワイヤーだったんですね。
針金を持って行った時の相手の苦笑い加減たるや。
さて、どの業界に身を置いていても存在するであろう専門用語。
業界でなくても、方言の様に日常にも存在していることでしょう。
専門用語やその場においての通称を、標準語のように日常で使われることは少なくないように思う訳です。
それがより専門的になればなるほど、ハッキリ言って何を言っているのかわからない。
分からなくなった時点で、自分なりに解釈するか、いっそ聞いてみるか、後で調べるかは当人次第ですが
それって優しくないなあ、と思うのです。
自分には分かってても相手には分からないんですから、所謂暗号と言っても変わらない。
何気ない会話から、急に専門用語が襲ってくるんです。
びっくりします。
だからこそ、びっくりしたからこそ
人に何かを伝える時は、できるだけ分かりやすくしようと思う訳です。
文体1つとっても同じことが言えるんじゃないかなと思います。
例えば「~だ~である」と「~です~ます」では、それぞれ受け取れる印象が違います。
前者は固く、後者は柔らかいと私は思って使っています。
カッチリ行こうと思った時は、一貫して「~だ~である」を使います。
その方が、読んでいて心地良いだろうから。
分かりやすさと心地良さは似通っている気がします。
専門用語はなるだけ嚙み砕いてお話していこうと心がけていきます。
その方が、あずましいと思うのです。
…まあ、できるだけですが。