ひょんなことから、文章のチェックをお願いされた。
(別にそういう担当というわけではない、本当にたまたま)
チェックとはいっても、ただ単に伝わるかどうかを見ていただけだった。
多少間違っていても伝わればいいを第一にチェックしていく。
文法がどうとか、文節がああだとか、そういうのは詳しくないので無視するが、単語や言葉だけは無視できない。
この単語、どういう意味だったかと調べるには辞書を引くのが一番早い。
勿論現代人なので、紙媒体の辞書なんてカバンに入れていない。ましてや家にも無い(実家にはある)
学生の時(小中高)、授業のもちもの欄に「国語じてん(辞書)」とあった記憶がある。
辞書と言えば、重たくて古臭い(私のは特段古かった)というのが当時の印象。
箱ティッシュよりも分厚いくせに、チリ紙にはならない。おまけに文字が小さいし探しにくい。それが辞書だった。
高校に入った時、それは電子辞書に姿を変えた。
国語辞典の他に英和辞典も入っていて、なおかつおまけもついている。
高校生の私にとっては、なんてハイテクなのでしょうと持つだけで嬉しくなった。すぐに飽きたけれど。
さて、令和の今日
文章チェック中、当時ハイテクな電子辞書を知人に譲ったことを思い出した。
もう私は辞書を一冊も持っていない。でもインターネット=スマートフォンがある。
GoogleやYahooそういった検索エンジンに知りたい単語を打ち込めば、意味が出てくる。
そういう点は辞書と同じで、もう紙の辞書にも電子辞書にも有難みを感じない。
学生時代、少しは憧れた広辞苑も同じ。
ネットは危ないと言われるけれど、使用者の扱い方次第で安全に扱える。
ネット1つあれば、辞書があるし買い物もできる。
最新機種にも買い替えた。もう立派な現代人ではないか。
しかし、紙の辞書、電子辞書を手放しても、最新機種や新製品を手にしても
電子マネーを使っていないので、真っ当な現代人にはなれない。
なぜなら、私は電子マネー(○○ペイ)には手を出さない。チャージが煩わしくて仕方ないからだ。