学習性無力感について

無気力な人、無力感を覚えている人を対象とした記事は、探せばたくさん出てきます。
無力感とか学習性無力感で検索すると、仕事に関すること、子供に関すること、軽度の障がいに関することが多いですが、発信が難しい重度の障がいを持つひとも、そういった状態になっている可能性があります。

学習性無力感とは
努力を重ねても望む結果が得られない経験・状況が続いた結果、何をしても無意味だと思うようになり、不快な状態を脱する努力を行わなくなること。
(引用:学習性無力感(ガクシュウセイムリョクカン)とは – コトバンク

先日、研修会に行かれた方より、体が動かなくても、視線入力を使ってどの程度見えているかや感じているかを可視化できることがあるなんてお話も聞きました。

らくだカンファレンス研修会に参加しました-学校でのICT

思ったよりわかっていなかったり、予想以上に見ていたり。
意思を示したり発信することが、困難な人たちの気持ちや考えは、一見しただけでは到底わかりません。
それを、示すことができ、本人次第で文字を入力したり、コンピューターを使ったりすることも出来るというのは、すばらしいことです。

誰かのリアクションが薄いとか、発信がないとかがあれば、もしかしたらそれは、学習性無力感かもしれません。
そうではなく、今この時も、わかりにくい形でも、意思を伝えようと、必死に発信しているのかもしれません。

発信手段を用意したり、周囲の人たちがリアクションをとることによって、発信できるんだ、ということを伝えていくことで、「どうせ何もできない」を「自分はできるんだ」に変えていけるかもしれません。

何らかの形で、自分の意志で発信できる人が学習性無力感に陥ったとき、静かに沈んでいっていたり、別の方面からどうにかしたいとあがいていたりするでしょう。

意思を発信することが困難であれば、学習性無力感に陥っても、自分の意志だけではどうにもならないところが大きいでしょう。

コミュニケーションをとる手段が存在するかどうかは大きな差です。
手段があれば、できることは大きく増えます。
視線入力がその手段の一つとして、広まってきています。

おもに重度の障がい者を対象とした情報がたくさんあります。
視線入力についても、よくわかるのではないかと思います。
ポランの広場

ぜひ検討してみてはいかがでしょうか。