自分の事は自分しか知らない

哲学者ソクラテスは「無知の知」を唱えた。

 

学生の時にほんの少し哲学に触れた際に、なるほどなあと思った言葉だ。
要は「自分が何も知らないこと=無知を自覚する」というもので(?)
何事も知っていると思い込んだりせず、知らない事を認め、より知ろうとしようとすることは
真の認識に至れるという考え方、だそうだ。

哲学では度々、私は在るだとか、正しいとは何かだとか抽象的でふわふわした内容を扱う。
そのため何言ってるのか分からないが、よく考えたら確かになあと思うことで溢れている。
そんな抽象的でふわふわしたことが大好きな私はよく「無知の知」を持ち出してくる。

 

 

さて。
いつだか「専門用語」が襲ってくると書いた。
前提として、自身と相手が同じ物・事・言葉等をお互い同じように知っていなければ会話は成立しない。
自分しか知らない「事」は相手には分からないので会話が成立しない。
なぜならば相手がソレを知らないからだ。

ふとネットでこんな文章を目にした。
『専門用語を使う人は「自分の分かることは相手にも分かると思っている」』とのことだ。
専門用語を使うのは周りも使っているからで、違う環境になっても伝わると無意識に使ってしまうのだそうだ。
方言が良い例で、普段青森弁で話をするが他の地域で同じように話をすると通じない。(例え話なので悪しからず)
所変わればというやつだ。

 

何が言いたいか。
こども相手におとなと同じ話し方はしないように
内部の人ならまだしも外部の人に同じ話し方は変えてもいいだろうし
自分の知っていることは、当然相手は知らないものだ。
その場や人によって、使う言葉を変えてみよう。

という心意気の話。